歌舞伎の世界に足を踏み入れると、まず驚かされるのが名前の複雑さだ。同じ名跡を何代にもわたって継ぐ慣わし、養子縁組による血筋の交差、屋号という独特のアイデンティティ——それらが絡み合うことで、歌舞伎の家系図は一般の家系図とはまるで異なる様相を呈する。中でも「中村福助 家系図」を紐解くと、成駒屋という名門の奥深さと、百年以上にわたる名跡の波乱の歴史が一気に見えてくる。
「中村福助」という名跡が持つ特異な歴史
「中村福助」という名跡の屋号は、東京の福助は成駒屋、大阪の福助は高砂屋と、もともと二系統に分かれていた。「福助」の名は三代目中村歌右衛門の幼名・福之助に由来し、当初は「歌右衛門」を襲名する前に名乗る前名として機能していた。これほど複雑な出自を持つ名跡は、歌舞伎界でも異例中の異例といえる。
「中村福助」という名跡は極めて異質な側面を持った名跡で、明治の初年から昭和の中頃にかけて、実に100年間ものあいだ、この名を名乗る役者は東京と大阪に常に一人ずつおり、それぞれの福助はもう一方の存在を認めないという異常な状態が続いた。ファンどころか当時の演劇通でさえ混乱を隠せなかったに違いない。
高砂屋五代目中村福助が亡くなると、高砂屋では家系が絶えてしまった。遺族である未亡人が「中村福助」の名跡を成駒屋に返上することを申し出たことで、100年以上にわたって分裂していた「中村福助」の名跡は統合され、成駒屋に一本化された。この歴史的な決着が、現代の中村福助 家系図をより明確なものにした。
九代目中村福助とは誰か——プロフィールと出自
九代目中村福助は1960年10月29日生まれ。屋号は成駒屋、定紋は祇園守、替紋は裏梅。本名は中村栄一。父は七代目中村芝翫で、弟に八代目中村芝翫、長男に六代目中村児太郎がいる。成駒屋の嫡流として、幼少期からその存在は歌舞伎界で特別な意味を持っていた。
1960年、七代目中村芝翫(当時は七代目中村福助)の長男として生まれた九代目福助は、1967年に父の七代目中村芝翫襲名公演の舞台となった歌舞伎座『野崎村』の庄屋の倅・栄三役で、五代目中村児太郎を名乗り初舞台を踏んだ。わずか6歳での初舞台。梨園の生まれとは、こういうことだ。
1981年に名題適任証を取得し、1983年に芸術選奨新人賞を受賞。同年、重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となった。そして1992年4月大歌舞伎にて、歌舞伎座『金閣寺』の雪姫と『娘道成寺』の白拍子花子で九代目中村福助を襲名した。二十代から三十代にかけて快進撃を続けたその歩みは、成駒屋の後継者としての期待に十二分に応えるものだった。
中村福助 家系図の核心——父・七代目中村芝翫と成駒屋の血脈
中村福助 家系図を語る上で外せないのが、父である七代目中村芝翫の存在だ。七代目中村福助(後の七代目中村芝翫)は五代目中村福助の長男で、昭和三年生まれ。昭和十六年に七世を襲名。六世尾上菊五郎に預けられて修行し、気品があり舞踊が優れ、時代物に格調ある正しさは定評があった。中村流舞踊の家元でもある。
つまり九代目福助にとって、父は単なる先代ではなく、舞踊の家元であり、歌舞伎界のひとつの頂点に立つ存在だった。父・七代目芝翫から流れる成駒屋の女方芸の継承者として活躍するほか、義兄・十八代目中村勘三郎が生前に企画し旗揚げした「コクーン歌舞伎」でも弟・三代目橋之助(当時)とともに出演していた。その活躍の幅は、古典の舞台にとどまらなかった。
また、2011年10月に父の死去により、九代目福助は日本舞踊中村流の宗家に就任した。歌舞伎役者としての顔と、舞踊流派の宗家という二つの責務を同時に背負うことになったわけだ。
弟・八代目中村芝翫との関係と成駒屋の分岐
九代目中村福助の家系図でもうひとつ見逃せないのが、弟との関係だ。父の福助さんの弟に、祖父の名跡を継いだ八代目中村芝翫がいる。八代目中村芝翫には、橋之助、福之助、歌之助と3人の息子がおり、彼らは九代目福助の長男・六代目児太郎にとっては従兄弟にあたる。
八代目中村芝翫は、妻・三田寛子との間に息子三人を歌舞伎役者として育て上げた。橋之助・福之助・歌之助の三兄弟はそれぞれが舞台に立ち、成駒屋の名を継ぐ次世代として活躍している。兄・九代目福助が嫡流の本流を継ぐ一方で、弟・芝翫の家系もまた成駒屋の血を色濃く受け継いでいる。同じ屋号の下でありながら、二家が並走するという構図は、日本の伝統芸能ならではの複雑さを象徴している。
長男・六代目中村児太郎——次世代への橋渡し
九代目中村福助の家系図において、未来を担う存在が長男・六代目中村児太郎だ。六代目中村児太郎は1993年12月23日に九代目中村福助の長男として誕生。祖父は七代目中村芝翫で、従兄弟に六代目中村勘九郎と二代目中村七之助がいる。成駒屋(中村歌右衛門家)の嫡流として、五代目歌右衛門から成駒屋に伝わる女方芸を継承している。
2000年9月に歌舞伎座舞台「京鹿子娘道成寺」で「中村児太郎」六代目を襲名して初舞台を踏んだ。2013年9月には、父の七代目「中村歌右衛門」襲名と、児太郎の十代目「中村福助」襲名が発表されたが、父親が脳内出血を発症し療養に入ったため、ダブル襲名が保留となった。
親子揃っての大名跡継承という、歌舞伎史に残るはずだった祝典は、突然の病で幕を下ろした。しかしそれは終わりではなく、むしろ長い復帰劇の始まりだった。
病気と復帰——九代目福助の波乱の半生
声良し、姿良しで芸熱心な女方として若くして頭角を現し、大役に成果をあげ、七代目中村歌右衛門襲名も決まり、さらなる活躍が期待されていたが、2013年11月の公演中に病に倒れた。歌舞伎界全体が衝撃を受けたのは言うまでもない。
脳内出血による筋力低下のため暫く休業することが発表された。以後、歌右衛門・福助ダブル襲名は保留となっている。準備されていた親子での新章は、静かに棚上げされた。
だが、4年10か月ぶりの舞台出演は2018年9月歌舞伎座の『金閣寺』の慶寿院尼。拍手は鳴りやまず、歓喜を持って迎えられた。以前と変わらぬ美しい姿で台詞もはっきりと聞こえた。長い沈黙の後に舞台へ戻るその姿は、言葉よりも雄弁に九代目福助という役者の強さを語っていた。
成駒屋を取り巻く広大な親族ネットワーク
中村福助 家系図を広げると、成駒屋が単独の家ではなく、歌舞伎界全体に張り巡らされた人脈の結節点であることがわかる。九代目福助の長男・六代目児太郎の従兄弟には、六代目中村勘九郎と二代目中村七之助がいる。これは七代目中村芝翫の娘・好江が十八代目中村勘三郎に嫁いだことによる繋がりだ。成駒屋と中村屋、ふたつの名門が婚姻によって結ばれているという事実は、歌舞伎界の複雑で豊かな人間関係を象徴している。
歌舞伎界において中村歌右衛門から芝翫・福助・橋之助(江戸の成駒屋)と、さらに梅玉(高砂屋)と魁春・東蔵(加賀屋)が出るという大きな系譜を持つ。この広大なネットワークの中で、九代目中村福助とその家系は「成駒屋の本流」という明確な位置を占めている。
「中村福助」名跡の代々と九代目が持つ意味
改めて「中村福助」という名跡の系譜を整理してみよう。初世の「中村福助」は四代目中村芝翫の前名であり、四世は後に「東西随一の女形」と称された五世中村歌右衛門の前名として知られる。六世は六代目中村歌右衛門の前名、七世は七代目中村芝翫の前名として機能した。
そして九代目中村福助は七代目中村芝翫の長男で、1967年に五代目中村児太郎を名乗り、1992年(平成4年)に正式に中村福助を襲名した。この系譜を見れば、「福助」という名が単なる前名ではなく、成駒屋の血と芸を受け継ぐ者が一段階経る関門であることがよくわかる。
現在、九代目中村福助は七代目中村歌右衛門を、そして長男・児太郎が十代目中村福助を名乗る予定となっており、親子での襲名披露興行は来年(2014年)3月・4月の歌舞伎座から始まる予定だった。その計画は病によって保留となったが、父子ともに舞台に立ち続けている事実が、名跡継承への意志を示している。
中村福助 家系図を一覧で理解する
ここで、九代目中村福助を中心とした家系の主な関係を整理しておく。複雑に入り組んだ歌舞伎の血脈を、少しでも見やすくするための参考として活用してほしい。
| 関係 | 人物 | 備考 |
|---|---|---|
| 父 | 七代目中村芝翫 | 人間国宝・中村流舞踊家元 |
| 弟 | 八代目中村芝翫 | 妻は三田寛子 |
| 長男 | 六代目中村児太郎 | 十代目中村福助襲名予定(保留中) |
| 姉(父の長姉) | 二代目中村梅彌 | 中村流八代目家元 |
| 義兄(父の次姉の夫) | 十八代目中村勘三郎 | 中村屋(故人) |
| 従兄(長男側) | 六代目中村勘九郎・二代目中村七之助 | 中村屋 |
女方芸の継承者として——芸の系譜という視点
家系図は血筋だけではない。歌舞伎においては「芸の系譜」もまた家系図の一部をなす。九代目中村福助は声良し、姿良しで芸熱心な女方として知られ、芸域は広く、どんな役でも優れた解釈力で自在にこなす逸材と評されてきた。
三姫(雪姫・八重垣姫・時姫)から傾城の揚巻・八ツ橋、さらには舞踊の白拍子花子まで。その守備範囲の広さは、成駒屋が代々培ってきた女方芸の集大成といえる。父・七代目芝翫から受け継いだ品格と技は、今や長男・六代目児太郎へと手渡されつつある。
六代目中村児太郎は成駒屋(中村歌右衛門家)の嫡流として、五代目歌右衛門から成駒屋に伝わる女方芸を継承している。血筋だけでなく、芸そのものが連綿と受け継がれていく——そこに歌舞伎という芸能の本質がある。
まとめ——成駒屋の家系図が語るもの
中村福助 家系図を辿ることは、単なる家族関係の確認にとどまらない。それは、成駒屋という名門が江戸から現代にかけて守り続けてきた女方芸の変遷、名跡が持つ歴史的重みの確認、そして現在進行形の継承劇への理解につながる。九代目中村福助という人物は、その家系図の中心に立ちながら、病を経てもなお舞台に戻り続けた。父から受け取った芸を、息子・六代目児太郎へ。その連鎖こそが「中村福助」という名跡の命脈であり、成駒屋がこれからも生き続ける理由でもある。